05.12.2016

クロマキーで背景で合成する

05.12.2016

クロマキーで背景で合成する

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ナルミ2歳と子守 1903年(明治36年) 撮影:吉原長平

 

この写真は、私の曾祖父・吉原長平(吉原写真館3代目)が、1903年(明治36年)に撮影した「次女ナルミと子守」だ。このオリジナル乾板を実家の蔵で発見したのはかれこれ10年前に遡るが、その時の感動を今でもよく覚えている。まるで絵画のよう造り込まれていることに驚いたからだ。

主題である人物を中景に配置されボケの美しい絵画(バックスクリーン)が、背景に垂れ下げられる。「森で花摘みをする姉妹」というテーマなのだろうか?森を構成する丸太や草木等が偽の造形物なのも面白い。なんとも不思議な写真に仕上がっていると思う。

実家の土蔵には乾板だけで1000枚以上、アルバムを入れると何千枚を越える膨大な枚数の家族写真が大切に保管されている。考えてみれば、6代も続く写真館だからあってもおかしくないが、全てが自分の肉親だと思うと不思議な気分にもなった。 結局、私はまるで先祖にとりつかれるように、自分の家族写真を3年ほどの間もくもくと整理し続けた。

途中、自然に写真の歴史に興味が芽生え、暇があれば写真史を読み返すようになった。当然ながら世界最初のカメラであるダゲレオタイプにも行きついたわけだが、発明者のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが、写真師になる前はパノラマ館の絵師だったこと知った時、自分なりに腑に落ちるところがあった。 パノラマ館とは、人々の周囲360度をぐるりと取り囲んで絵を配置し、中心から風景を眺めて楽しむものだが、作家ダゲールは絵筆によって描かれたパノラマ世界に限界を感じ、描写力が緻密でリアルな写真世界を作りたいと欲したのだと想像した。

吉原写真館の肖像写真に使用されているバックスクリーン

これらの淡い絵画は、吉原写真館で主に家族写真肖像写真を撮影する時に使う背景画だ。リビング、森と湖、花壇、洋風の空間などを模して画かれている。国内では、制作業者がなくなり大変に貴重なものになっているので、私は修復しながら大切に使っている。

実を言うと、私は思春期の頃の話であるが、この背景画を好きでなかった。つじつまの合わない偽物だと思ったからだ。ましてや、この前で、ポーズをとって撮影されるなんてナンセンスだとも思っていた。

しかし、曾祖父長平の写真やダゲールの写真を通して背景画の効果と魅力を知ることになってしまった今は、とっても魅力的なものに見えてきている。

絵画とは、現実の多次元を二次元に置き換える技術の上に成り立っている。ルネッサンス以降、画家は奥行きを感じる空間を表現しようと、実に数多くの表現技術を編み出した。透視画法的構図法、空気遠近法、そして前景と後景の間に中景を主題する画面分割法などだ。

この写真館の淡い背景画は、奥行き空間を表現するための歴史の上にあったのだ。それを知ってからは、逆に写真館の写真は、バックスクリーン(背景画)なしでは成り立たないとまで考えるようになった。

 

このモノクロの2枚の写真はKONEMANN社出版のTHE NEW HISTORY OF PHOTOGRAPHYから参照した。

英語の説明には、写真スタジオが、客間等を模した背景画、造花などを配置したジオラマだったことが丁寧に書かれている。しかし、なんとも絵画的である。あるいは映画の1シーンもあり、舞台で行われている演劇の一瞬にも見えてくる。

これらの写真を見ていると、写真は、絵画や演劇、そして映画と全く同じバックグランドを持っていることがわかってくる。考えてみればコンピューターグラフィックスが氾濫している現在でも、ハリウッド映画の代表スターウォーズなどのSF映画などで、マット画(背景画)が多用されているという事実は面白い。

 

曾祖父・吉原長平は、海外から持ち込まれた造り込まれた以上のようなジオラマ写真から刺激を受けて、「次女ナルミと子守」のような肖像写真を制作しただろう。

 

「毛筆の及はざるところ、ここの妙技あり。筆を折り、刷毛を砕き呆然たるもの、数日遂に之を学ばんと決意す。」『写真事暦』(明治24年)

これは、日本の写真術の開祖・下岡蓮杖が、写真を初めて出会ったときの驚きをつづったものだ。狩野派の絵師だっただけに、絵画を越える描写力に強い衝撃を受けたようだ。この蓮杖も、実は何枚もの背景画を描いている。元々は絵描き、お手のもんだったと思う。蓮杖の描いた背景画が、現在残っているならば、是非とも拝見してみたものだと思う。

マンフロットマンフロット製クロマキーカーテンを使用した撮影テスト

A1409

 

昨年のことになるが、ありがたいことにマンフロット製品の提供を受ける機会があり、かなり悩んだが、結局クロマキーカーテンを選んだ。背景を合成した肖像写真に挑戦したいと思ったからだ。合成写真と言っても、照明や合成技術、そして空間構成など、なかなか難しい。

しかし、これが写真史の上にある正当な技術であるならば、吉原写真館の撮影方法の一つにしたいと目論んでいる。

曾祖父・吉原長平に近づくために。

吉原長平肖像 1900年(明治33年)

 

このエッセーは新発田市で配布されるフリーペーパー「街角こんぱす」をリライトした。

マンフロットのクロマキーカーテンはこちら:

https://www.manfrotto.jp/lastolite/background-and-background-support/chroma-key

 

ホームページ:http://www.y-ps.com/

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